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スーダンで内乱激化、邦人も退避へ――なぜ?背景、経緯、展望…基礎知識5選

六辻彰二国際政治学者
スーダンでの即時停戦を呼びかけるグテーレス国連事務総長(2023.4.20)(写真:ロイター/アフロ)

 北東アフリカのスーダンでは戦闘が激化しており、この1週間だけで死者は300人にのぼったとみられる。4月21日には邦人退避のため航空自衛隊の輸送機も経由地ジブチに出発した。断片的にしか報じられないスーダン情勢を理解する5つのポイントを紹介する。

1.前大統領派の「反乱」

 スーダンでの戦闘は首都ハルツームを含む各地で広がっている。その構図はブルハン将軍が率いる軍事政権とその傘下にある準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」の衝突、と紹介されることが多い。

 RSFはなぜ「ボス」を攻撃するのか。これに関してRSFを率いるダガロ司令官は「民主化を求めるため」と主張しているが、これを額面通りに信用することはできない。

 むしろ、この衝突は過去の因縁が爆発したものといえる。

 ブルハンとダガロはもともと対立していたわけでもない。むしろ、この二人は2019年までこの国を支配したアル・バシール大統領(当時)を長く支えた点では共通する。

 バシールは1980年代末から30年以上にわたって権力を握り続けた。その間ブルハンは軍人として、ダガロは民兵組織のリーダーとして、それぞれ反体制派の取り締まりや、スーダン南部の分離独立をめぐる内戦(2011年に南スーダンとして独立)でバシール体制を支えた。

 その転機はバシール体制の崩壊にあった。経済状況の悪化にともない、2018年暮れから各地で抗議デモが拡大し、民主化を求める抗議活動が広がるなか、軍の一部がこれに呼応したことでバシールは失脚した。その指導者の一人がブルハンだったのだ。

スーダンの軍事政権を率いるブルハン将軍(2022.12.5)
スーダンの軍事政権を率いるブルハン将軍(2022.12.5)写真:ロイター/アフロ

 一方、ダガロ率いるRSFは抗議デモに参加する市民を銃撃するなど、民主化に反対し続けた。

 つまり、ダガロやからみてブルハンは「裏切り者」であり、ブルハンからみてダガロは「時流の変化を理解しない守旧派」だった。後にダカロは妥協し、暫定政権に参画したが、その溝は深く残っている。

2.RSFのジェノサイド疑惑

 ダガロやRSFは、バシール体制で特に優遇された過去をもつ。

 2013年にRSFが公式に発足するまで、メンバーのほとんどは民兵組織「ジャンジャウィード」に所属していた。ジャンジャウィードはそれ以前、悪名を世界にとどろかせていた。スーダン西部のダルフール地方でのジェノサイド(大量殺戮)疑惑があったからだ。

RSFを率いるダガロ司令官(2023.2.19)
RSFを率いるダガロ司令官(2023.2.19)写真:ロイター/アフロ

 ダルフールでは2003年頃からアフリカ系人の居住地が襲撃され、殺人、放火、略奪、集団レイプなどが相次ぐようになった。その結果、アフリカ系人が暮らしていた土地のほとんどはアラブ系民兵に乗っ取られ、ダルフールではこれまでに30万人以上が死亡し、250万人以上が避難民となったと推計されている。

 その実行犯と目されたジャンジャウィードは、バシール体制の既得権益層でもあった。現在RSFを率いるダガロは金鉱山の経営なども行うスーダン屈指の富豪でもある。

 だからこそ、ダガロやRSFはバシール体制の払拭を目指すブルハンと相容れないのである。

3.焦点はバシール引き渡し

 このようにブルハンとダガロは相容れない部分を抱えながらも、バシール失脚後に権力を分け合った。2021年10月のクーデタで民主派が政権から追い出された後は、これがさらに鮮明になった。

2019年に失脚したバシール前大統領(2019.2.22)。30年に及ぶその統治が今日に残した影響は大きい。
2019年に失脚したバシール前大統領(2019.2.22)。30年に及ぶその統治が今日に残した影響は大きい。写真:ロイター/アフロ

 このクーデタは2019年のバシール失脚後に生まれた民主化の気運を吹き飛ばすものだった。

 バシール失脚後、民主化を求めたデモ隊の指導者と、これを支援したブルハンなどの軍人がそれぞれ参加する暫定政権が発足した。これは将来的な選挙の実施と完全な民政移管を前提にしたものだったが、内部分裂が徐々に鮮明になるなか、クーデタによって民間人が追い出され、軍人が実権を掌握したのだ。

 それと同時にブルハンが議長を務める暫定統治会議が発足し、これが最高意思決定機関になったが、ダガロはその副議長に就任した。

 つまり、民主派を追い出したブルハンはダガロとそれまでより強く手を結んだのである。この判断は民主化より治安回復を優先させたもの、ともいえる。

バシール失脚と民主化を支持する人々(2019.4.11)。抗議活動はバシール体制を打倒する原動力になったが、その後のスーダンは再び軍事政権の支配下に置かれることになった。
バシール失脚と民主化を支持する人々(2019.4.11)。抗議活動はバシール体制を打倒する原動力になったが、その後のスーダンは再び軍事政権の支配下に置かれることになった。写真:ロイター/アフロ

 バシール失脚後のスーダンでは、それ以前からバシール体制を攻撃していた武装組織なども軍事活動を活発化させた。そのうえ、混乱に乗じて周辺国から流入するテロリストも増えた。

 こうしたなか、ダガロは「2019年に抗議デモが発生した時、バシールがデモ隊を攻撃するよう命じたが、自分はこれに反対した」と主張するなど、少なくとも表面的には、バシールと距離を置く態度を強めた。

 ところが、こうした妥協は長続きしなかった。両者の間には、バシールの処遇についての問題が、喉に刺さった魚の骨のようについて回ったからだ。

 ダルフール紛争をめぐり、バシールには国際刑事裁判所(ICC)が「人道に対する罪」などで逮捕状を発行している。これに対して、2019年に発足した暫定政権はバシールを拘束し、ICCに移送する方針を打ち出したものの、現在に至るまで実現していない。

首都ハルツーム近郊で立ち上る黒煙(2023.4.15)。国軍とRSFの衝突は各地に飛び火している。
首都ハルツーム近郊で立ち上る黒煙(2023.4.15)。国軍とRSFの衝突は各地に飛び火している。提供:INSTAGRAM @LOSTSHMI/ロイター/アフロ

 バシールを法の裁きにかければ、国内で火の手がこれまでになく上がりかねないからだ。

 とはいえ、ブルハンにとって、バシールを国際法廷に引き渡すことの政治的魅力は大きい。強権的で反民主的という意味でブルハンの軍事政権はバシール体制とほとんど変わらないが、「バシールを打倒した」ことがほぼ唯一の免罪符になっているからだ。

 それは逆に、バシールの裁きが自分たちに飛び火するのではという不信感をダガロやRSFに抱かせる原因になってきたといえる。

4.ウクライナ侵攻の余波

 この緊張を一気に爆発させたのが経済停滞だった。2020年のコロナ感染拡大は、貧困国の多いアフリカでとりわけ大きなダメージを呼び、各地でクーデタやテロが増加したが、スーダンでも昨年1月にはインフレ率が260%という驚異的水準に達していた。

バシール打倒の記念日に集まったデモ隊(2023.4.6)。コロナ禍やウクライナ侵攻による生活苦の拡大は政治不満を増幅させてきた。
バシール打倒の記念日に集まったデモ隊(2023.4.6)。コロナ禍やウクライナ侵攻による生活苦の拡大は政治不満を増幅させてきた。写真:ロイター/アフロ

 その後発生したウクライナ侵攻で食糧価格が高騰したことは、スーダンの市民生活をさらに悪化させ、軍事政権に対する抗議デモが頻繁に発生するようになった。

 これを受けて昨年12月、軍事政権は民主派との間で民主化に向けた新たな合意を結んだが、ほぼ有名無実のままだ。

 こうした「反ブルハン」の気運の高まりはRSFに蜂起を促す一因になったとみてよい。

 これに加えて注目されるのは、ロシアの軍事企業「ワグネル」の関与だ。

 ウクライナ戦争で知られるようになったワグネルはアフリカ各地でも「営業」しており、スーダンでもバシール政権末期の2018年頃から主に鉱山地帯の警備などを請け負ってきた。しかし、それと同時に鉱物資源の密輸にも関わっているとみられる。

サンクトペテルブルクにあるワグネル本社ビル(2022.11.4)
サンクトペテルブルクにあるワグネル本社ビル(2022.11.4)写真:ロイター/アフロ

 内乱勃発後、このワグネルがRSFを支援しているという疑惑が浮上した。これについてワグネル自身は否定している。また、プーチンが命じたという証拠もない

 しかし、スウェーデンにあるウプサラ大学のスウェイン教授は、ブルハン率いる軍事政権にアメリカがワグネルを退去させるよう求めてきたことが、ワグネルの警戒感を呼んだと指摘する。これに関連して、米CNNは4月21日、ワグネルがRSFに地対空ミサイルなどを提供していると報じ、証拠として航空写真を掲載した。

 ワグネルの関与についてはより詳細な検討が必要だが、RSFを率いるダガロが金鉱山の開発にかかわってきたことに鑑みれば、RSFの勝利がワグネルにとって都合がいいことは確かだ。

5.停戦は可能か

 内乱の激化を受け、欧米各国や日本は停戦を求めてきたが、実現には至っていない。

軍事衝突を避けてハルツームを離れようとする人々(2023.4.19)。
軍事衝突を避けてハルツームを離れようとする人々(2023.4.19)。写真:ロイター/アフロ

 それも無理のない話で、バシール体制の時代からスーダンは、ダルフール問題を批判する欧米と対立してきた。バシール失脚後、ブルハンは西側との関係改善を模索してきたが、それでも貿易に占める先進国の割合は3割程度にとどまる。

 つまり、ブルハンやダガロが西側の停戦勧告を聞き流しても不思議ではない。

 むしろ、スーダン経済において圧倒的に大きな存在感をもつのが中国で、こちらも即時停戦を呼びかけているが、その効果も限定的とみられる。

 バシールの悪名が高まったダルフール紛争で、この国の油田開発などを行っていた中国は、国連安保理などでスーダンをむしろ擁護した経緯がある。そのため、中国とバシールの二人三脚のイメージはスーダンでも定着している。

 この背景のもと、バシールを引きずり下ろしたブルハンだけでなく、ダガロにとっても「中国の言いなりになった」とみなされることは国内の信用にかかわる。2021年に軍事政権に参画して以来、ダガロは2019年の抗議デモ鎮圧を否定するなど形式的にはバシールと距離を置いてきたからだ。

ソマリアの難民キャンプ(2022.5.24)。世界では居住地を追われる人々が1億人を超えており、スーダン情勢の悪化は難民危機に拍車をかけるものと懸念される。
ソマリアの難民キャンプ(2022.5.24)。世界では居住地を追われる人々が1億人を超えており、スーダン情勢の悪化は難民危機に拍車をかけるものと懸念される。写真:ロイター/アフロ

 もっとも、スーダンに限らず、アフリカ各地で発生する内戦がそれまでの相互不信のうえにあることを考えれば、外国の呼びかけだけで簡単に停戦が実現しないのは不思議ではない。

 その意味で、スーダンで停戦合意が実現するとすれば、周辺のアフリカ諸国の仲介による公算が高い

 近年のアフリカではエチオピア南スーダンなど、外部の大国も仲介できないほど激化した紛争が珍しくないが、そのなかには難民の増加などで最も影響を受ける周辺国の仲介によって停戦合意にたどり着いた事例も少なくない。

 ただし、それは即時ではなく、外部の大国が戦闘をほとんど忘れかけるほど時間がたち、当事者たちが疲れ果てたタイミングで初めて可能になった場合がほとんどだ。

 スーダンに関しても、アフリカ各国で構成されるアフリカ連合(AU)が4月16日、特使の派遣と調停を行う方針を打ち出した。

 世界全体に目を向ければ、居住地を追われる人々は1億人を超え、これまでにない難民危機が広がっている。スーダン情勢の悪化は、これをさらにエスカレートするきっかけにもなりかねない。

 周辺国による仲介がカギになるとすれば、外部の大国は短期的な成果のみ求めず、現地の努力を側面から支援するしかないといえるだろう。

【追記】文書の一部を加筆・修正しました。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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