Yahoo!ニュース

撃たれても倒れない‘ゾンビ兵’はロシアにいるか――ウクライナ戦争の影の薬物

六辻彰二国際政治学者
覚醒剤使用イメージ(写真:イメージマート)
  • ロシア軍事企業「ワグネル」兵士が銃で撃たれても倒れないなど、覚醒剤投与の疑惑が浮上している。
  • ワグネルは疑惑を否定しているが、戦場に送り出される兵士への麻薬支給はこれまでにもあった。
  • その一方で、ウクライナ国内の薬物問題も戦争で深刻化している。

 「撃たれても倒れない」「味方の犠牲をまるで気にしていない」などの証言から、ロシアが覚醒剤を兵士に投与している疑惑が濃くなっている。

「ゾンビ映画みたいだ」

 ウクライナ東部のドネツク州バフムトで4月3日、ロシア軍事企業「ワグネル」の部隊が市庁舎にロシア国旗を掲げ、制圧を宣言した。しかし、その後もバフムト西部ではウクライナ軍の抵抗が続いていると英BBCは報じている。

 ロシアはウクライナ東部の制圧を重視し、バフムトはその主戦場になっている。

 その制圧のため、ロシアが兵士に覚醒剤を投与している疑惑は以前から浮上していた。昨年11月、あるウクライナ兵はメディア取材に「まるでゾンビだ。いくら撃っても、後から後から出てくるんだ」と証言した。

 さらに米CNNは2月、バフムトで戦う別のウクライナ兵の証言を紹介した。「確かに弾丸が当たったはずなのに倒れない」、「仲間の死体の山を平気で乗り越えてくる」、「ゾンビ映画みたいだ」、「あいつらは絶対クスリをやってる」。

 こうした疑惑や証言をワグネルのプリゴジン司令官は否定している。また、CNNはじめ各メディアも裏づけを取れておらず、あくまで疑惑として報じている。

疑惑を濃くする事情

 ただし、疑惑が濃いだけの理由もある。

 第一に、あまりに過酷な戦場だ。「義勇兵」としてウクライナ軍に協力する元アメリカ海兵隊員は「バフムト周辺の最前線で生きられるのは平均4時間」と証言している。

 その一方で、現場のロシア勢力はバフムト制圧を求めるプーチン政権のプレッシャーにさらされている。そのため、ロシア側が兵士に高揚感を与え、恐怖や苦痛を無視させるため、手段を選ばなかったとしても不思議ではない。

 第二に、バフムトに展開するロシアの主戦力がワグネルであることだ。

 ワグネルは実質的にプーチン政権と一体だが、形式的には民間企業であるため、さまざまな規制が緩い。これまでにもワグネルが兵員増強のため、刑務所の受刑者を解放と引き換えにリクルートしていたことが判明している。最近では、かき集めても国民から反発が出にくい移民が標的にされているとみられる。

サンクトペテルブルクにあるワグネルの公式オフィス(2022.11.4)。開戦後、志願者リクルートのために初めて開設された。
サンクトペテルブルクにあるワグネルの公式オフィス(2022.11.4)。開戦後、志願者リクルートのために初めて開設された。写真:ロイター/アフロ

 戦闘経験がほぼゼロの者を短期間で戦線に投入するため、訓練なども十分でないとみられる。だとすれば、覚醒剤を投与し、兵士に無敵の感覚を与えて突撃させることは、極めてコスパの高い手段ともいえる

 こうした疑惑の解明に役立つと注目されるのが脱走者の証言だ。今年1月、ワグネル兵アンドレイ・メドベージェフがノルウェーで身柄を拘束された。

 もともと受刑者だったメドベージェフはワグネルにリクルートされ、刑務所を釈放されて戦闘に加わったが、6ヵ月の契約期間が過ぎると勝手に契約を更新されたという。その後、ロシアの人権団体の支援で、ロシア国境にあるパーツヨキ河を超えてノルウェーに亡命した。

ノルウェーに亡命した元ワグネル兵アンドレイ・メドベージェフ(2023.2.1)。この後、ノルウェー当局に逮捕された。
ノルウェーに亡命した元ワグネル兵アンドレイ・メドベージェフ(2023.2.1)。この後、ノルウェー当局に逮捕された。写真:ロイター/アフロ

 今後メドベージェフはノルウェーで裁判にかけられる見込みだが、弁護士は「彼は自分の経験を話すつもりだ」と述べており、法廷でワグネルの実態が明らかになることが期待される。

戦争と薬物の黒い糸

 つけ加えるなら、兵士の麻薬使用そのものは珍しくない。

 近代以前、いわゆるハイになれる薬草などを摂取したうえで戦いに向かったり、鎮痛効果のある薬草で負傷者の苦痛を和らげたりするのは世界各地でみられた。

 しかし、兵士に恐怖、苦痛、疲労を感じさせないため薬物を利用することは、むしろ近代以降になって組織的に行われてきた

【資料】メタンフェタミンの製造施設を制圧したメキシコ軍(2018.8.28)。メタンフェタミンの製造・販売には世界各地の犯罪組織がかかわっている。
【資料】メタンフェタミンの製造施設を制圧したメキシコ軍(2018.8.28)。メタンフェタミンの製造・販売には世界各地の犯罪組織がかかわっている。写真:ロイター/アフロ

 第二次世界大戦中、ドイツ軍は疲労回復などの目的でペルピチンと呼ばれる薬剤を兵士に支給していた。その主原料メタンフェタミンは今日、依存性、中枢神経興奮作用のある薬物としてほとんどの国で規制されているが、戦時中はアメリカ、イギリス、日本などドイツ以外でも広く用いられた。

 戦中・戦後の日本で、兵士だけでなく民間人にも出回った「ヒロポン」は、基本的にこれにあたる。市川崑監督の映画で有名な『犬神家の一族』は、戦争と薬物の暗い関係をモティーフにしていた。

 ベトナム戦争ではこれがさらに加速し、1971年には駐留アメリカ軍兵士の約15%が麻薬中毒と報告されるほどだった。

 ベトナム戦争はアメリカ軍がほぼ初めて経験した本格的なゲリラ戦だった。いつ、どこから、どうやって攻撃されるか分からない恐怖と緊張感がつきまとうなか、薬物依存の兵士が増えた

 500人以上の民間人が殺害されたソンミ村の虐殺(1968年)など、ベトナム戦争ではアメリカ兵による無差別発砲も目立ったが、薬物の蔓延はその一因にあげられる。

 ベトナム戦争はその後アメリカ政府が「麻薬撲滅」をアピールするきっかけになった。

 これらの前例を踏まえれば、平均生存時間4時間ともいわれるバフムトの過酷な戦場で、ワグネルに薬物乱用に関する疑惑の目が向けられるのは自然な成り行きだ。

ウクライナにも蔓延する薬物

 もっとも、戦争と薬物がつきものだとするとウクライナも無縁ではない。

【資料】大麻の原料ケシを栽培している畑で遊ぶアフガニスタンの少年(2009.9.29)。アフガンのイスラーム勢力タリバンは麻薬を主な資金源にしてきた。
【資料】大麻の原料ケシを栽培している畑で遊ぶアフガニスタンの少年(2009.9.29)。アフガンのイスラーム勢力タリバンは麻薬を主な資金源にしてきた。写真:ロイター/アフロ

 昨年3月、ロシア国営放送はドネツクでウクライナ兵のための麻薬工場を発見したと報じたが、これ以外にウクライナ側の兵士による薬物使用の状況についての証言は他に得られていない。

 むしろ、ウクライナ側で鮮明なのは、戦争をきっかけに民間人の薬物問題が深刻化していることだ。

 もともとロシア南部からウクライナにかけては、アフガニスタンなど大麻生産の盛んな中央アジアとヨーロッパを結ぶ、麻薬のシルクロードとも呼べる地域で、これに関連して武器取引や人身売買といった組織犯罪も横行している。

【資料】キーウで行われた、麻薬問題の改善を求めるデモ(2017.6.26)。覚醒剤の蔓延は以前からウクライナで深刻な問題だったが、戦争はその状況を悪化させているとみられる。
【資料】キーウで行われた、麻薬問題の改善を求めるデモ(2017.6.26)。覚醒剤の蔓延は以前からウクライナで深刻な問題だったが、戦争はその状況を悪化させているとみられる。写真:ロイター/アフロ

 その結果、ウクライナでは以前から薬物が普及していた。国連薬物犯罪事務所(UNODC)によると、2018〜2020年の段階でウクライナ成人のうち麻薬常習者の割合は1.7%にのぼった。これは世界屈指のレベルだ(ちなみに日本は0.47%、アメリカで0.65~0.84%、ロシアで1.32%)。

 麻薬工場も多く、2020年だけで79カ所が摘発されていた。ロシア側の発見したという麻薬工場はこうしたものの一つである可能性が高い。

 そこに発生した戦争で状況はさらに悪化したとみられている。昨年6月、UNODCはウクライナ戦争が麻薬の製造・取引を増幅させかねないと警告した。

サンクトペテルブルクにある戦没者墓地で行われたワグネル兵の葬儀(2022.12.24)。恐怖や苦痛を感じにくくするため、ワグネル兵が覚醒剤を投与されて戦場に送られているという疑惑は絶えない。
サンクトペテルブルクにある戦没者墓地で行われたワグネル兵の葬儀(2022.12.24)。恐怖や苦痛を感じにくくするため、ワグネル兵が覚醒剤を投与されて戦場に送られているという疑惑は絶えない。写真:ロイター/アフロ

 実際、ロシアによる侵攻後のウクライナでは無警察状態によって組織犯罪を抑制しにくくなっただけでなく、空爆などは人々の不安と緊張感を極度に高めた。その一方で、依存症ケアのクリニックが破壊されたり、流通網の破壊によって薬物過剰摂取の拮抗薬ナロキソンが入ってきにくくなったりしている。

 ウクライナで依存症患者のケアを行うボランティアの代表はアルジャズィーラの取材に「状態の悪い患者が増えて眠れない」と、自分自身が追い詰められる状況を語っている。

 このように形は違っても、ロシアとウクライナには薬物の影響が強く懸念される。

 世界銀行は3月、ウクライナで破壊された建物やインフラの再建には1350億ドル以上かかるという試算を発表したが、本格的な復興にはさらに多くの資金と時間がかかるとみられる。

 ウクライナでの戦闘がどのように決着がつくかは予断を許さない。しかし、今後たとえ短期間で終結を迎えたとしても、人々に及ぼした影響は甚大で簡単には修復できないだろう。薬物の問題はその一端といえるのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

六辻彰二の最近の記事